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澄み切った空気もすがすがしい冬の一日 2周年の記念講演会を開催いたしました。 宇喜多家の菩提を弔う光珍寺さまのお堂は、我が岡山城下町の歴史に関心を寄せる大勢のみなさまで埋まりました。(満員御礼) 冒頭 おふくの会会長から 盛会を祈って(案じて)応援に駆けつけてくれたという「息子夫婦」“宇喜多秀家”と“豪姫”(岡山城下町物語隊役)の紹介がありました。 “秀家”公からは、「私の築いた岡山の城下町のことをよく学んでほしい」との力強いご挨拶。その姿も凛々しく、母おふくさまはさぞ誇りに思われたことだろうと納得するようでした。続いて「かわいい嫁」“豪姫”さまは、可憐ながらも豪気なところを披露され、宇喜多家の女性の姿をしっかり見せてくれました。 ![]() 続いて、宇喜多直家公のご命日バレンタイン法要に先だって、おふくさま(もとい、おふくの会会長)と“豪姫”の手作りの“特製宇喜多家家紋と旗印入りチョコレートケーキ”(↓)をお供えしました。 ![]() ![]() “秀家”、“豪姫”がお供えしてくれました。(熱気で霞んだ写真になっておりますが;) そして、本日の講演会 乗岡講師の「宇喜多直家、秀家と岡山の城下町」です。考古学の視点から見た、岡山城、岡山城下町の成り立ちを熱く、楽しく、丁寧にお話しくださいました。 直家公、さらに秀家公が築いたお城の姿がより現実的に見えてくるようなお話でした。秀家が築城した岡山城には豊臣秀吉との深い結びつきがあることは知られているところですが、発掘される遺構、瓦の形状分布など、まさしく考古学が教えてくれる「大坂城」と「岡山城」秀吉と秀家の強い繋がりについて、具体的に示してくれる、講師ならではの貴重なお話でした。私たちが暮らす岡山の街の中で、こうして宇喜多家と繋がっているということも実感することができました。 ![]() 時をさかのぼって岡山城下をめぐるようなお話、講師の熱い講演に耳を傾ける“秀家”と“豪姫”です。80名あまりの聴衆一同、一時間と少し、“秀家”たちと岡山の城下を探りました。 お帰りには おふくの会から手作りの小さなチョコレートを来場の皆さまに差し上げました。 2周年の記念を 多くの方とともに 有意義に楽しい時間とすることができましたことを感謝いたします。今後ともどうぞよろしくお願いします。 追記 会場に、郷土岡山に関わる多くの興味深い本を刊行して、岡山の人々から愛されている吉備人(きびと)出版さんがお越しになり、今日のテーマに関わる2冊の名著をご紹介くださいました。“絵図”で歩く岡山城下町、そして“劇画”による岡山城築城物語 です。どちらもお薦めです。 _2348018.jpg|201202/11/92/|mid|480|360#]
一年で最も寒い季節が近づいてきました。バレンタインという日がそういう季節にあることは偶然でしょうが、厳寒の中での温もり…になるような日にも思えます。そして、2月14日は宇喜多直家公のご命日。「おふくさま」にとっては夫君である直家公に想いを寄せる日です。 2010年の2月14日、「おふくの会」は発足しました。 2周年を迎えて、本年も記念の講演会を下記の要領で開催する運びとなりました。昨年に続きまして、宇喜多家の菩提寺「光珍寺」さまに参集でございます。岡山内外の歴史好きの皆さま、「おふくの会」に出会いたい皆さま、どなたもどうぞお気軽にお運びくださいませ。 記 日時 2012年2月11日(土) 午後1時30分~ 場所 光珍寺さま (岡山市北区磨屋町) 内容 講演 「宇喜多直家、秀家と岡山の街づくり」 講師:乗岡実 氏 (岡山市教育委員会文化財課) ごあいさつ おふくの会会長 杉山真子 ゲスト 岡山城下町 物語り役「秀家」と「豪姫」 備考 参加費無料、駐車場若干、お問合せは「おふくの会」086-222-2121(セントラルホテル 杉山まで) ※ 予定している内容等についての確認や詳細は「おふくの会」にお問い合わせください。 本講演会は、宇喜多家菩提寺である光珍寺さま、岡山市観光協会の各方に後援いただきました。深く感謝申し上げます。 昨年は、2月14日の直家公命日ご法要の当日に「おふくの会」発足一周年記念講演会として開催させていただきました。本年は、法要とは別の日程になっております。毎年、バレンタイン法要に直家公へのチョコレートがたくさんお供えされますが、今年は記念講演会の2月11日に「おふくの会」からも❤を差し上げたいと思います:)☆
ご報告です。 先日、宇喜多フェスティバルのコンテストで選ばれた初代「秀家」(山根輝久さん)と「豪姫」(松島彩さん)。岡山市の観光PRにこれから東奔西走が始まります。 10月24日光珍寺さまにて、「出陣式」がありました。秀家、豪姫とともに、岡山観光コンベンション協会、岡山市経済局観光コンベンション、おふくの会がそろって光珍寺さまにご挨拶をかねてお参りに行きました。 石渡住職より宇喜多家の歴史、秀家と豪姫、直家公と円融院(おふくさま)の人となりなどをわかりやすく楽しくお話いただきました。経済局観光コンベンションの小林さんから、観光大使としてのお二人の心構えについて、それぞれの役を演じるだけでなく、協力してお二人にしかできない秀家・豪姫になってくださいと激励がありました。 おふくの会としましては、私たちの会の説明と活動についてお話をしたうえで、「母」として、お二人にはとりわけ頑張っていただけるようお願いをしました。 大変和やかな会となり、岡山の未来を担うお二人、また私たちおふくの会にとりましても新たな出陣の日となりました。皆さまもどこかでこの秀家、豪姫に出会われましたら、我が息子たち、どうぞよろしくお願いします。 おふくの会 杉山真子
おふく茶屋 今年も皆さまのご愛顧ありがとうございました。 爽秋の空の下、岡山城前の舞台では太鼓や火縄銃や踊りや劇などが繰り広げられ、大勢の人々が集い、晴れやかな一日を過ごしました。岡山城と城下を築いた宇喜多秀家さまとそのご一族も、そのような今日の岡山の姿を喜んでくださったことでしょう。 そんな賑やかな舞台を正面から眺める位置に陣取りまして、おふく茶屋では昨年に続いて、本日限定の創作和菓子「ふく」とお抹茶 で皆さまをおもてなしすることができました。 今年は、湯原温泉協会さんが湯原から直送で運んでくださった「湯原温泉水」にてお抹茶を点てました。湯原温泉は、ご存じのとおり、「おふくさま」が湯治にいらしたという縁ある温泉です。(おふくの会の、「湯原への研修旅」の項をご覧ください!)ふくよかな美味しいお茶になりました! 和菓子「ふく」は、岡山市中の和菓子舗におふくの会が特別にお願いして創っていただいた年に一度出会えるお菓子です。(美しく美味ですョ!) また、今年は戦国時代の「小袖」姿の女性たちをイメージして、小袖に細帯、長い髪を結えて、お茶をお運びさせていただきました。おふくの会のメンバー一同、皆さまと一緒に楽しい一日を過ごさせていただきました。岡山にりっぱなお城を建ててくださった宇喜多一族にも感謝! …こんな 一年一度の おふく茶屋。来年も(たぶん)皆さまをお待ちしております。 ありがとうございました。 追記: 第一回の「宇喜多秀家・豪姫」コンテスト。楽しかったですね。栄えある審査員には、おふくの会会長(Mrs.杉山)が紅一点、優雅な着物姿でお役目果たさせていただきました。なにしろ、「わが息子殿、お嫁さま」を選ぶものですから、力入りました(笑)。 ![]()
ここ岡山でも大きな台風を迎え、きびしい晩夏でした。 ようやく秋が来て、本年も宇喜多一族を想いながら、その城下にて「宇喜フェス」が開催されます。 10月9日 日曜日 岡山城前広場 フェスティバルのサイトはこちら→ http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/ おふくの会も、昨年に続いて「おふく茶屋」にてお待ちしています。 一年に一度、この日にだけ創っていただくお菓子「ふく」 ・・・で一服のお茶をお召し上がりください。 見上げると 烏城。 背景には 青い空 ・・・であることを祈ります。 おふくさまの時代を想い、今年は、「小袖」を再現してみました。 おふく茶屋の小袖姿でのおもてなしを見つけてください。 皆さまとお会いするのを楽しみにしております。 ![]()
長い冬を終え、今年ほど春の待ち遠しい年はありませんでした。 そのような思いとともに、4月21日 岡山商工会議所南九州視察団・文化観光委員会の一員として、宇喜多秀家ゆかりの地、鹿児島県垂水市牛根に行ってきました。 秀家は関ヶ原の戦いで敗北し、伊吹山に逃れ白樫村の矢野一族に匿われてしばらく過ごした後、大阪より船で瀬戸内海に出て村上水軍に守られながら(・・と言われている)、豊後水道をぬけ、薩摩南端(大隅)に到着。しかし、島津氏は直接には秀家を受け入れることができない立場から、大隅の牛根(現在の垂水市牛根)の豪族平野家に、秀家らの日常生活ならびに身の安全を守るよう命じたのでした。 平野家は平家の末裔で地元の有力豪族でした。この要請を受け、住んでいた上屋敷をただちに秀家らに譲り、平野一族は下屋敷に移りました。秀家の家来ならびに警護のために雇った地元郷士たちの住まいも用意し、3年近くの間、誠心誠意お世話をしたそうです。 上屋敷は下屋敷から400メートルほど山道を登ったところにありました。現在は雑木林となり、沢の跡と「宇喜多屋敷跡」と標された標柱があるのみです。木々の間からは桜島南岳が見え、噴火口から白い噴煙が見えました。秀家公もきっとこの風景を毎日ご覧になり、生きる力を蓄えられたことと思えました。ここには、秀家公の供養のための祠とここで亡くなった二名の家来のための墓があり、毎年11月に祭事が行われるということです。400年以上にわたって続けられているのです。 これらのお話を語りながら、その地を案内してくださったのは、笑顔の優しい、末裔の平野さまご一家でした。この平野さまのご先祖、当時の平野家に、同じように秀家公も歓待され、大切にされ、身も心も癒され勇気づけられたことでしょう。 秀家は容姿端麗で武士らしく凛々しい貴公子で、また優しいお人柄から皆に親しがられたと伝え聞きます。たぶん・・・お父様よりお母様である「おふくさま」に似ていらっしゃったのではないでしょうか。 はるか遠くより秀家の無事を祈りながら過ごしていらした「おふくさま」のことを想いながら、平野家の皆さまに感謝を申し上げ牛根をあとにしました。短い私の薩摩滞在ではありましたが、心に深く残る探訪となりました。 (おふくの会会長 杉山まさこ) ![]() 開催しました。 これに先立ち 直家公の法要が執り行われました 今年はバレンタイン(直家公ご命日)より一日早い法要でしたが やはりそこには・・・ 岡山のみならず遠方から訪れた「歴女」方からのチョコレートが。 地元のTV局も 取材に来てました。 さて、続く おふくの会 講演会。満場のお客さまを前にして お堂の中も温かい空気に包まれました。 限られた記録、古文書を紐ときながら “通称”(※)お「ふく」さまの出自から、軌跡、最期までをわかりやすく 解析してくださった森さん(宇喜多史談会)のお話。歴史をたどる霧の中の道筋をわくわくしながら私たちも一緒に歩いているような・・・そんな心持で聴き入りました。 (※)会場でお聞きになられた方にはおわかりと思いますが、おふくさまは本当はお「ふく」さまではなかったのでは?~この「おふくの会」の基盤を揺るがすモンダイであるにもかかわらず、「おふくの会」も森さんの明解なる分析を傾聴しました!・・・歴史を見つめる森さんの姿がまっすぐで爽やかで そんな解析も「おふくの会」記念講演会で果敢にお話くださったことに敬意を感じると共に 嬉しく思っています。 続いて、ご自分のご先祖さまとつながる歴史の存在を 日々身近に感じて暮らすことへの驚きや思いをほのぼのと語ってくれた牧さんのお話。 そのお話を聴きながら、過去は単なる切り離された過去ではなく 今につながっているストーリーなのだという実感とともに歴史を見つめていきたいものだ・・・などと感じました。 寒い日 お集まりくださったお客さま方。 熱心に聴いてくださいました。 その時間 なんとなく 郷土の雄 宇喜多家への愛 のようなものを 皆さまと共有しているような感覚に包まれました。 ・・・しかし・・・思えば バレンタイン。 本当に 愛 かもしれません。 宇喜多家菩提前にて このような時間を過ごせましたこと 光栄にありがたく思います。 多謝。 みなさま 今後ともよろしくお願いいたします。 ![]() ![]() 新年あけましておめでとうございます。 2011年のキックオフ、2年目に向けて心新たにしました。 おふくの会一同より・・・ 本年もよろしくお願いいたします。 来月(2月)、おふくの会は結成1周年を迎えます。 小さな一歩のスタートでしたが、色々な出会いを紡ぎ合わせて、 振りかえると一年、だんだんとエネルギーが結集してくるかのように おふくの会として成長してこられた気がしています。 皆様との出会いにあらためて感謝。 1周年の節目に、スタートの場所(光珍寺さん)に戻り、記念の講演会を催します。 どうぞ皆様お気軽に足をお運びください。 「おふくの会 一周年記念講演会」 日時 平成23年2月13日(日) 13:00~ 場所 光珍寺 (岡山市北区磨屋町6-28) tel. 086-222-2028 ※ 参加者は光珍寺の駐車場を無料で使わせてくださるそうです。 講演 1. 「おふくさま」 森 俊弘 (宇喜多家史談会理事) 2. 「おふくさまと牧籐左衛門家信(牧国信)」 牧 紀子 (おふくの会会員) 定員 100名 (事前申込みの必要はありません) 主催 おふくの会 連絡先 杉山真子 (岡山市北区田町1-10-28 Central Hotel Okayama) tel. 086-222-2121 以上 牧さんのブログご参照↓ http://songsfor.exblog.jp/15782702/ 森先生のHP↓ http://www16.ocn.ne.jp/~toshizou/
前日の雨模様が幻のように青空にめぐまれて、一日限りの「おふく茶屋」 盛況となりました。 限定特製和菓子「The 宇喜多’s」 お昼過ぎに完売しました。 ありがとうございました。 皆様との出会いに感謝申し上げます。 ![]() ![]()
来る10月10日(日)、岡山城天守閣前広場にて開催の「第2回宇喜☆宇喜フェスティバル」に おふくの会は〝おふく茶屋″として出店いたします。 当日限定の特製の和菓子「ふく」とお抹茶をご用意して、皆さまにお会いできるのを楽しみにお待ちしております。どうぞお立ち寄りください。 また、お持ち帰り限定の和菓子セット「The 宇喜多’s」は、「ふく」に加えて、宇喜多直家、秀家、豪姫をイメージした各々趣きのある素敵な和菓子4つを、御菓子元とのコラボレーションで創っていただいた特製です。数に限りがありますが、よろしければこちらもどうぞお楽しみください。 宇喜☆宇喜フェスティバル ↓ http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/ ![]() ![]()
土井神社 (玉藻神社) 土井次郎右衛門の妻(三浦家出身)が、天正6年神殿を造営しました。作州高田の三浦一族の鎮守として高田の玉藻神社を移したものです。 下土居の土井一族の本家は絶え、三男の角介の一族が残り、現在はその末裔に当たる方がこの土地にお住まいのようです。 ![]()
土井家 (土井次郎右衛門) 下土居 (岡山市)の勝山城城将。宇喜多家と姻戚関係にあたる伊賀家次男が「土井次郎右衛門」を名乗ったものです。その妻は三浦家出身。(参考:「虎倉聞書」)おふくさまはこの土井家を頼り、下土居に落ち延びました。 写真は、下土居の風景。土井家の末裔が在住。 ![]()
湯原 京都に上がった桃寿丸が震災に遭遇し亡くなるという不幸に見舞われ、おふくさまはその悲しみから長く床に伏しました。心配した(宇喜多)秀家や家臣の計らいで、おふくさまは湯原へ湯治に行くことになりました。秀家が湯治のための湯屋、泊所など10棟あまりを建設したことが「作陽誌」に記されています。(※「作陽誌」⇒元禄年間に編集された作陽地方史) 写真は、おふくさまと湯原温泉の御縁を記した「おふく」像の記念碑です。このあたりにおふくさまの湯屋が建てられたのではないかということです。 ![]()
牧家 三浦家家臣の一族で、高田城落城に際し、おふくさまと一子「桃寿丸」を護り落ち延びさせた忠臣の一族です。牧左馬助は、湯原の湯山城に入り毛利勢を退け「辛川の合戦」では宇喜多直家の目前で敵の首をはねるという活躍をした等の、数々の武勇伝を残しました。後、津山藩森家の家臣として務めました。 参考: 「牧左馬助覚書」(「美作国諸家感状記」矢吹家所収) 牧家末裔の方のブログに記事がありました。 http://songsfor.exblog.jp/13003574/ 写真は、牧家のお墓参り。牧家一族は、その墓地に祖先の歴史を石碑に記し、墓所を護っています。 ![]()
勝山 古くは水運を利用した物流と、東西南北に延びた街道、出雲街道などの交通の要所として繁栄しました。おふくさまの嫁いだ三浦家、高田城下の町です。 写真は第11代当主三浦貞勝との束の間の幸せな時を過ごしたであろう高田城の三の丸跡 現在の勝山 城下町の面影を残す町並みは風情があり、「のれん(暖簾)の町」、「ひな祭りの町」として有名です。静かな佇まいの町を高田城三の丸跡に向けてそぞろ歩きすると、どこからかおふくさまの声が聞こえてきそうな気がします。 ※勝山まにわ保存地区について⇒ http://cms.top-page.jp/p/maniwa/3/3/25/ ![]() 戦国の世の只中、のちの「おふく」、幼名「せん」は美作の地頭三浦の一族として生まれた。勝山高田城主、三浦貞勝に嫁ぎ、このときより「おふく」さまと呼ばれるようになったようだ。1565年高田城は、毛利方の三村氏に攻められ落城。嫁いで5年ほどのことである。夫君三浦貞勝を失い、「おふく」は、縁者にあたる家臣の牧藤左衛門と江川小四郎に護られて、息子「桃寿丸」と共に加茂川村下土居の土井家に落ち延びた。このとき、「おふく」は20歳になるころであったようだ。 稀なる美しさと聡明さをもった人であったという「おふく」の噂は、当時備前において地盤を拡大しつつあった宇喜多直家の耳に届いていたようだ。虎倉城主伊賀久隆の妻は直家の妹であり、その城下の下土居の母方縁故にあたる土井家に身を寄せる「おふく」とは、その縁で対面することとなったかもしれない。5歳の桃寿丸を連れた「おふく」を直家が正妻として沼城に迎え入れたのは1567年のことである。 1572年、お福は直家との間に、宇喜多八郎のちの「秀家」を授かった。お福の思いをよく汲んで、戦国の策士とも言われた直家は桃寿丸もわが子同様に心をかけ、養育に努めた。1581年、直家は、備中攻撃に備前入りしていた羽柴秀吉に死後を託して病死する。沼城のお福の幸せは、14年にして終わることになった。 直家はその死の数ヶ月前、沼城で秀吉に八郎を引き合わせていた。 翌1582年お福は備中高松城攻めの往・復路の秀吉を岡山城に迎える。このとき、お福は幼い八郎の行く末を案じる思いを秀吉に訴えたはずだ。後に、八郎は秀吉の養子となり大きな庇護と寵愛を受けることとなった。 1584年、宇喜多八郎は元服、秀吉の一字を貰い「秀家」と名乗り、備前・備中・美作を掌る戦国の大大名として秀吉方の最前線で活躍する。またこのころ秀家は、同じく秀吉の養女として愛された加賀前田利家の娘「豪姫」と結婚し、若くして秀吉の五大老として重要な役割を果たしていく。八郎の元服を見届ける「おふく」はこのとき39歳、秀吉に請われ大阪城にてその庇護を受けることとなった。 同じ年、20年来の思い、三浦貞勝との一子「桃寿丸」による三浦氏高田城再興を願い続けた「おふく」にとって、大きな出来事が起こった。秀吉より高田城再興の沙汰を賜ることとなり、京都に上がった桃寿丸が不幸にも大震災に遭い亡くなったのである。「おふく」の悲しみは絶大なものであったと想像される。「おふく」は、その癒えない悲しみを案じる秀家と周囲の勧めで、郷里に近い美作(現在の湯原温泉)で湯治療養をしたとされている。 その後の天下の歴史は、豊臣から関が原を経て徳川へと大きなうねりで移っていく。 豊臣秀吉の死に続き、1600年関ヶ原の合戦で豊臣方西軍が敗れ、秀家は結果として二子とともに遠く八丈島に流され、宇喜多家も改易となった。秀家はその後84歳で亡くなるまで50余年を彼の島で過ごし、二度と妻豪姫や母「おふく」の方と会うことはなかった。 関ヶ原の合戦を経て移り変わる世の中で「おふく」が如何なる余生を過ごしたのか、確かな消息は不明である。 秀吉死後剃髪し京都で過ごしたか、誕生の地勝山に帰ったか。あるいは、「おふく」さまの墓と伝えられる五輪塔が岡山城下にあることをして、備前岡山の地で余生を過ごしたのではないか、とも想像される。また、我が子秀家の流刑のことなどを知ることなく、豊臣家の威光、あるいは遺光の中で生涯を終えたのではないか、とも言われる。明確な記録に登場しない「おふく」の晩年は、いずれも想像の域を出ない。限られた確かな記録に、その院号は「円融院」として、来世に旅立たれたことが伝わっている。
「おふくの会」より 戦国時代の猛々しく華やかな興亡の歴史の中で、女性の存在は翻弄される悲しい姿として登場することはあっても、彼女たちの「歴史」が語られることは少ないように思います。舞台裏のような女性方の足跡については記録も殆ど残されていないからです。彼女たちが「どのように生きたのだろう」ということは、限られたそれらの徴をたどり、つなげながら、「想像」していくことに他ありません。誇張や脱線を避けながら、その細い糸を真摯に紡いで、「おふくさま」の生涯を辿っていきたいと思います。 *発足* 2010年2月14日、宇喜多直家法要のため光珍寺(岡山市)に集まった女性たち有志が、「宇喜多家の女性を通して見る歴史」を探求したいという思いを一つにしました。郷土備前岡山の礎を築いた宇喜多一族への敬愛に加えて、歴史の陰に隠れたように多くを語られることのない宇喜多の女性の姿も、同じ女性としての眼と心をもって見つめていきたい。 ・・・そのような思いから、この日「おふくの会」と名づけた会を立ち上げました。 *活動* 「おふくの会」は、岡山市内で、月に一度ぐらいのペースで集まります。 活動内容は: ・「おふくさま」についての文献資料等を読みあわせ、まとめる作業を少しずつ行っています。 ・岡山県下の「おふくさま」ゆかりの地を訪ねる小さな旅を行っています。 ・「おふくさま」をはじめとする宇喜多家の女性についての歴史や存在に、岡山県内外の多くの方々に触れていただけるよう、さまざまな“PR”活動も行っていきたいと思います。その企画などを練っています。 *コンタクト* o-fuku@excite.co.jp
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