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あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。 おふくの会は今年も直家公法要に続いて、講演会を開催いたします。 5年目を迎える今年は、戦国大名としての宇喜多氏、そして直家公について語っていただきます! 平成27年2月11日(水・祝) 10:30〜12:00 於:光珍寺(宇喜多家菩提寺) プログラム 10:30〜11:00 宇喜多直家公 祥月命日法要 11:00〜12:00 講演会「戦国の涼星☆宇喜多直家」 講師:内池英樹氏 岡山県立博物館 主幹 皆様のご参加、お待ちしております。 #
by o-fuku
| 2015-01-13 23:01
| イベント
秀家公のご命日に法要が営まれます。 今年は交流事業のお話も聞けるそうです。 ◆宇喜多家慰霊法要 日時: 11月20日(木) 宇喜多秀家 祥月命日 11:00~11:30 内池氏による開催報告の後慰霊の読経 ~11:40 藤波師による参列者へのお加持 ~11:50 内池英樹氏による交流展のご案内 場所: 光珍寺 宇喜多家菩提寺 〒700-0826 岡山市北区磨屋町6-28 tel:086-222-2028 http://kouchinji.net ※ご紹介 藤波師 千日回峰行者で酒井雄哉師の弟子 内池英樹氏 岡山県立博物館 主幹 岡山高知文化交流事業として特別展を企画。 「戦国大名 宇喜多氏と長宋我部氏」 期間:平成27年1月16日~2月15日 当日はどなたでも参列できます。おふくの会も参列いたします。 #
by o-fuku
| 2014-11-09 15:06
| イベント
今年も 宇喜フェス、お城の前の「おふく茶屋」で皆さまにお会いすることができました。ありがとうございました。 岡山大学留学生の皆さんも立ち寄ってくれました! 午前は 甲冑の鉄砲隊 午後は 宇喜多家の武者行列 楽しゅうございました。 ふく。としましては、我が子秀家の築いた岡山城の前に一同が集まってくれること、とても嬉しく思います。 一年に一度、お城の前で。 皆さまありがとうございました。 おふくの会 一同 #
by o-fuku
| 2014-10-12 16:52
| イベント
深まる秋。今年も 宇喜ウキ★フェス 近づいてきました。 10月12日(日) 恒例となりました「おふく茶屋」出店いたします。 当日は、宇喜田秀家公築城の烏城のもと、甲冑行列、鉄砲隊の実演など、(下段では岡山のB級グルメも)にぎやかに集います。 おふく茶屋にて、お抹茶とお菓子でお待ちしております。 詳細は ===↓↓↓ http://www.okayama-cci.or.jp/ukita/ #
by o-fuku
| 2014-10-04 12:38
| イベント
おふくの会の恒例行事「宇喜多家ゆかりの地を巡る旅」、今年は5月17日に京都を訪れました。 今回は歴史漫画家の大竹直子先生とご友人が一行に加わってくださり、賑やかで楽しい旅となりました。 まずは、嵯峨嵐山にある清凉寺を訪ねました。 この地には、もともと嵯峨天皇の皇子で光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)の山荘があり、これを後に寺としたのが起こりだそうで、嵯峨でも有数の古刹とのこと。また、本尊の三国伝来の釈迦如来像は国宝で多くの人々の信仰を集めているそうです。 この寺院が、秀家公正室お豪様ゆかりの地であると知り、お話を伺ってきました。 慶長元年の大地震の後、お豪様が施主となり慶長二年(1597)に仁王門を再建されています。その確かな証として、お寺の霊宝館には仁王門の扁額が保存されていました。扁額には、「當寺楼門再興施主大相國姫君」「備前中納言妻為息災延命也」と記されています。 「大相國姫君」が秀吉公の娘、「備前中納言妻」が秀家公の奥様という意味です。ご自身と周囲の方々の健康と長寿を祈念した優しい御心が伝わってきました。この仁王門再建の後、豊臣家が主となり数年かけて諸堂が再建されています。 お豪様と清凉寺のご縁は、その後も続きます。 慶長五年(1600)の関ケ原合戦の後、お豪様は清凉寺の書院に隠棲されます。いつごろ清凉寺に落ち着かれたのか、はっきりと分からないそうですが、その時には既に落飾されたお姿だったと伝わっているそうです。其の為か、清凉寺の方はお豪様のお名前ではなく、「樹正院」様と呼ばれていました。お豪様は豊臣家にゆかりの深いこの寺院で静かに数年を過ごされ、前田家に戻られました。 また、清凉寺には秀頼公の首塚があります。豊臣家との深い繋がりから、こちらに納められたのだそうです。 残念なことですが、寛永十四年(1637)に起こった嵯峨の大火で、豊臣家が再興した諸堂はすべて焼失してしまったそうです。お豪様ゆかりの仁王門も書院も現存していません。仁王門に掲げられていた扁額のみが残り、お豪様の想いを今に伝えています。 嵐山で有名な湯豆腐をいただいた後は、大徳寺を訪れました。特別公開の塔頭や信長公木造など興味深いものがありました。今回は何も見つける事ができませんでしたが、特に戦国武将にゆかりの深い寺院として有名ですので、宇喜多家とも何か関わりがあったのではと思っていますが、どうでしょうか。 最後に、聚楽第跡を訪れました。 「聚楽第跡」石碑の見学と、浮田町の散策が目的です。 浮田町に着いて直ぐに、「浮田町」と書かれた町の掲示板を見つけて興奮してしまいました。私たちが「浮田松!浮田町!」と大騒ぎしているのを見て、放っておけなくなったのでしょう。偶然いらした住民の方が声をかけてこられました(おふくの会はいつも何方かに助けられます)。旅の目的をお話しすると、浮田町の旧街割り図や現地の新聞記事、聚楽第のパンフレット等いろいろな資料を見せてくださいました。実際に御屋敷のあった辺りや、住民の方しか知らないような詳しい説明をしていただき、本当に秀家公とお豪様が(もしかしたら、おふく様も・・・)住まわれていたんだと実感しました。 宇喜多家の屋敷跡であるという事だけで何の手掛かりも無かったのですが、現地の方に親切にしていただき(しかも浮田町の住民の方に!)、本当に京都に来てよかった、と私たち一行は大変感激したのでした。 今回は、お豪様にとって深い想い出の地を訪れる事が出来ました。 お豪様の祈りが通じたのか、秀家公は長寿を全うされました。二度と会えなくても、生涯、心は通じ合っていたお二人。秀家公と引き離されて辛く哀しい日々を過ごされた場所、秀家公と幸せな日々を過ごされた場所。お豪様の光と影を感じた旅でした。 清凉寺様、浮田町の熊谷様、本当にありがとうございました。 おふくの会 奥田 #
by o-fuku
| 2014-07-13 01:14
| ゆかりの地を訪ねて
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